しかし、急速なボウリングブームの冷え込みは、想定外の業績不振を招く。この施設は、早期の転換を図ることが良策との判断から、わずか2年程でその幕を下ろした。「西部ガス興産株式会社」に商号変更1973(昭和48)年10月25日 「株式会社シティサービス」初の事業として大いなる意気込みを持って取り組んだボウリング事業であったが、瞬く間に業界が様変わりしたことによって、いきなり苦境に立たされることになる。競合施設が短期間のうちに数多く開業したこと、いずれ整理淘汰の時期に入ることなどを考えると、新規事業による経営の多角化に大きく舵を切る必要があった。 企業は積極的に環境適応の姿勢を取るべきであるとの信念に基づき、これを契機としてレジャー企業的色彩から本業連動的な企業色彩に脱皮を図り、商号を「西部ガス興産株式会社」(代表取締役社長:今村淳、本社:福岡市中央区警固2丁目13番20号)に変更。新たなスタートを切った。「西部ガス不動産株式会社」設立1978(昭和53)年3月1日 1973(昭和48)年に起こった第一次オイルショックは、石油製品の価格や社会環境の急変を招き、企業経営にも大きな影響を及ぼした。西部ガスのガス事業においては採算を確保する一方で、大きな投資も必要であったが、それもままならない状況にあった。 そこで、西部ガスは本業を側面的に支援する子会社の設立を積極的に推進。1978(昭和53)年に設立された「西部ガス不動産株式会社」(代表取締役社長:大塚桂一郎、資本金1億円、本社:福岡市中央区警固2丁目12番25号)もそのひとつである。設立時の従業員数は11名。主な事業は、さらなる発展が期待される不動産業(業務用施設の建設、遊休施設の利用、用地の先行取得)や損害保険代理店業務などであった。1979(昭和54)1.-第二次オイルショック9.22イラン・イラク全面交戦1980(昭和55)カスガ・ブルーレーンキャッスル・ブルーレーンカスガ・ブルーレーンキャッスル・ブルーレーン17
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