「株式会社シティサービス」設立1971(昭和46)年10月1日 ガスエネルギーがLPGから都市ガスへと移行しつつあった1970年代初頭。西部ガスは、公益事業として要請される保安の強化や先行投資などに対する負担が増大する一方で、競合他社との価格競争への対応を迫られていたため、ガス事業以外に新規事業を検討する必要があった。 幸い、西部ガスの工場跡地など、広大な遊休地を所有していたことから、その有効活用に注目。付帯事業の収益を本業に還元してさらなる成長に結びつけるため、1971(昭和46)年、ガス事業の枠を超えて地域社会に奉仕することを目的とした「株式会社シティサービス」(代表取締役総支配人:安永義道、資本金3,000万円、本社:当時・福岡県筑紫郡春日町大和町4丁目30番地)が設立された。「カスガ・ブルーレーン」開業1972(昭和47)年11月16日 空前のボウリングブームのなか、シティサービスは、西部ガスの春日製造所跡地に「カスガ・ブルーレーン」(春日市大和町、52レーン)をオープンさせた。住宅地に近く、家族連れをターゲットとするこの施設は、レストラン「ロイヤルホスト」を併設。地域社会のコミュニケーションの場として親しまれることをめざしていたが、ほどなく状況は一変。オイルショックを契機とするインフレや不況などで、全国的にも転廃業する施設が目立つようになると、当初の賑わいも薄れていく。 やがて、発展が目覚ましいこの地域では、ガス事業関連での転用が望ましいとの構想が浮上。開業以来56万人の入場者を数えた施設は、時代の流れに逆らえず4年余りで閉鎖した。「キャッスル・ブルーレーン」開業1972(昭和47)年11月21日 小倉城にほど近い、西部ガス北九州支店の隣接地に建てられた「キャッスル・ブルーレーン」(当時・北九州市小倉区西本町、52レーン)では、地域の特性から競技主体のボウリング場として、主に若年層の需要を見込んでいた。福岡・北九州という全国的にも指折りの激戦区に新規参入する「ブルーレーン」では、従業員の質やサービスなどで競合施設との差別化を図る狙いであった。そのため、スタッフは東京で研修を受け、ライセンス取得や機械操作スキルの習得に励むなど、懸命に努力を重ねた。History革新し続ける50年の歴史創業期わが国の経済成長にともなって福岡でも都市再開発が進み、旧住宅地域はビルやレジャー施設へとその姿を変えていった。西部ガスでは、都市ガスの需要が急増し、外的要因によるコストの急騰が大きな課題となる。ガス料金の長期安定化を図り、競合との価格競争に勝つためには、付帯事業で上げた収益を本業に還元する必要があった。このような状況のなか、西部ガスプロパン株式会社の子会社として設立された「株式会社シティサービス(現・西部ガス都市開発株式会社)」では、都市再開発の一端を担うべく、地域に密着したボウリング事業を手掛けていく。1971198110.25「西部ガス興産株式会社」に商号変更本社:福岡市中央区警固2丁目13番20号代表取締役社長:今村淳10.-第一次オイルショック1973(昭和48)10.1「株式会社シティサービス」設立資本金:3,000万円本社:当時・福岡県筑紫郡春日町大和町4丁目30番地代表取締役総支配人:安永義道1971(昭和46)5.15沖縄県本土復帰11.16「カスガ・ブルーレーン」開業11.21「キャッスル・ブルーレーン」開業1972(昭和47)1974(昭和49)12.31「キャッスル・ブルーレーン」閉鎖1976(昭和51)7.2南北ベトナムの統一12.29「カスガ・ブルーレーン」閉鎖1978(昭和53)3.1「西部ガス不動産株式会社」設立資本金:1億円本社:福岡市中央区警固2丁目12番25号代表取締役社長:大塚桂一郎8.12日中平和友好条約調印カスガ・ブルーレーン16
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